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ツイッグス (DD-127) : ミニ英和和英辞書
ツイッグス (DD-127)
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ツイッグス (DD-127) : ウィキペディア日本語版
ツイッグス (DD-127)

ツイッグス(USS Twiggs DD-127)は、アメリカ海軍第一次世界大戦中に建造したウィックス級駆逐艦の1隻。艦名は少佐に因む。後にイギリス海軍に譲渡されタウン級駆逐艦レミントン(HMS Leamington)として運用された後、ソビエト連邦海軍に譲渡されてズグチ(Zhguchi)として運用された。最終的に英国へ返還され、サン=ナゼール強襲を描いた映画『封鎖作戦』(原題:The Gift Horse)の撮影に使用された。
==艦歴==

===USSツイッグス===
1918年1月23日、ニュージャージー州カムデンにて起工し、同年9月28日に進水式を迎えた。この進水式には艦名の由来となったツイッグス少佐の孫娘リリー・S・ゲッチェル(Lillie S. Getchell)が招かれていた。1919年7月28日、フィラデルフィア海軍造船所にて就役。初代艦長にはアイザック・C・ジョンソン・ジュニア中佐(Isaac C. Johnson, Jr.)を迎えた。
1919年10月、ツイッグスは太平洋艦隊第4駆逐戦隊(Destroyer Squadron 4, Desron 4)に所属する第16駆逐隊(Destroyer Division 16, DesDiv 16)に配置された。1922年春まではカリフォルニア州サンディエゴ沖にて練習航海任務に当たる。この最中の1920年7月、識別番号DD-127が与えられる。1922年6月24日、運用コストの問題や兵員不足、第一次世界大戦後の軍縮など、複数の理由からツイッグスの退役が決定する。
およそ8年後の1930年2月20日、サンディエゴにて艦長にトーマス・S・キング二世少佐(Thomas S. King II)を迎え再就役を果たす。ツイッグスは第14駆逐隊の旗艦となり、(Battle Fleet)と共にサンディエゴを母港として任務にあたった。1931年2月、戦闘艦隊付偵察艦隊(Scouting Fleet)と共に艦隊集結演習に参加する。3月15日、演習完了にあわせて正式に偵察艦隊に配置される。なお、偵察艦隊は4月1日の艦隊再編の折に偵察部隊(Scouting Force)と改称されている。以後はサウスカロライナ州チャールストンを母港とし、1933年春頃まで第7駆逐隊旗艦として任務にあたった。4月1日から7月1日まで第6駆逐隊第2駆逐戦隊所属艦として西海岸側の戦闘艦隊に参加。11月1日、サンディエゴの第20交代予備駆逐戦隊(Rotating Reserve DesRon 20)に移り予備役艦となる。1934年7月1日、第2駆逐戦隊第4駆逐隊所属艦として現役復帰。以後、サンディエゴを母港として活動し、1936年末に退役が決定する。1937年4月6日、ツイッグスは再び退役し、サンディエゴに係留された。
1939年9月1日、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻が始まる。これを受けてフランクリン・ルーズベルト大統領は東海岸側中立パトロールの強化を命じ、海軍ではフィラデルフィアおよびサンディエゴに予備役艦として係留されていた77隻の駆逐艦および軽掃海艇の現役復帰に関する手続きを開始した。1939年9月30日、ツイッグスは中佐を艦長に迎え現役に復帰した。
第32駆逐戦隊第64駆逐隊の旗艦となったツイッグスは、11月までをサンディエゴにおける各種調整および訓練航海に費やした。12月初旬、同型艦8隻と共にパナマ運河方面を通過して新たな母港となるフロリダ州キーウェストに移動。同地を母港として活動していた英駆逐艦ヘレワードの援護を行う。翌月、ツイッグスは同型艦および重巡洋艦ヴィンセンスと共に、ユカタン半島沖を通過しようとしていたオーストラリア海軍軽巡洋艦パースの監視任務に参加。パースはドイツ船籍の客船号の拿捕に関与していた。
1940年夏までの間、ツイッグスは第64駆逐隊旗艦として中立パトロール、の訓練航海および戦闘訓練などに従事した。
一方、欧州戦線では1940年春頃より連合国軍の劣勢が目立ち始めていた。ノルウェーは占領され、フランスなどもいわゆる電撃戦の元で敗北しつつあった。またドイツ海軍は大西洋において潜水艦を用いた通商破壊作戦を展開し、イギリスでは商船および護衛艦船の損害が増加しつつあった。その後のフランス降伏を経て、イギリスは単独でヨーロッパにおけるドイツの躍進を足止めすることができなくなった。
ノルウェー周辺海域での戦いや大西洋上の通商護衛、ダンケルク撤退戦などに投入された結果、イギリス海軍では駆逐艦が深刻なまでに不足し、ウィンストン・チャーチル首相がアメリカに支援を求める事となる。これを受け、1940年夏までにルーズベルト大統領は英米の相互協力を決定し、の締結に至ったのである。この協定において、アメリカはイギリスに対して前大戦中に建造された旧式駆逐艦50隻を提供し、またイギリスはアメリカに対して西半球に存在する英海軍基地について以後99年間の使用権を認めていた。
ツイッグスもイギリスへ引き渡される50隻のうち1隻に選ばれた。1940年10月16日、カナダのノバスコシア州ハリファックスに移動。アメリカ海軍の(Navy list)からは1941年1月8日に削除された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ツイッグス (DD-127)」の詳細全文を読む




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